日本にはびこるいじめ体質

日本人の奥ゆかしさ、相手を思いやり言わんとすることを察する能力は美徳だと思っています。
でも、小学校から普通にできないの!と育てられ、枠からはみ出る子どもは糾弾されます。それは学校の中だけではなく社会がそうさせます。
その結果社会にでても特異な個性で成功する方は一握りで、無難に人間関係を作れる人が普通とされそれが負担になると病気になってしまう人も多いのが今の日本ではないでしょうか。

先日夕方のニュースで大学生が誰かと一緒でなければ学食で食事ができないというリポートがありました。一人で食事をすると寂しそうとか孤立しているように見られるというのです。だから誰とも一緒にならない時は昼食を取らないそうです。一人を苦痛と思う幼稚さというか自立の遅さです。この子たちに人を踏み越えても成功したいという向上心はあるのだろうかと驚いてしまいました。

また、公共事業のダム建設がニュースとして取り上げられていましたが、ダム建設賛成派ばかりが取材を受けていました。元来反対だったけど仕方なく賛成に回ったという方です。多くが賛成に回ると、反対は少数派で排除となりがちです。村八分というやつですね。
喧々諤々になるまでとことん議論をして良い方向に進むということができないのです。

昔読んだ絵本に「はだかの王様」というのがありました。
正直な気持ちを言えるのは結局王国中みても子供だけだったというお話です。
子どもも少し大きくなると周りの空気を読むのです。そしてはみ出そうな人を排除しようとする。それは大人の世界では当たり前に行われており、加減のわからない子ども社会では明確な「いじめ」になるのです。

結局いじめは大人社会にはびこる病巣で、互いに認めるということができないかぎり、この国からなくなることはないのかもしれません。



ところで今朝、前原大臣の羽田空港ハブ化発言に千葉の森田知事が激怒している映像が流れていました。
相談なしに発言されたことが気に食わないというものです。根回ししないままに国の政策を国民に伝えるなというのです。
森田知事が民主党らしくないと言っていましたが、民主党らしくないのではなくこれまでの自民党らしくないのです。
まあまあとどちらにもいい顔をして巨額の支出を生み出してきた日本の政治手法ではないからです。
本来まず国民に伝えそれからオープンに議論をしていく、それこそ民主主義だとおもうのです。

最近ニュースで憤慨する様子をまるでパフォーマンスのように映されることが多いですね。
言葉多くに怒る姿は見ていて見苦しいと思ってしまうのは私だけでしょうか。