親子の集い

今日は午前中息子の幼稚園で親子の集いが行われました。
普段父親と遊ぶことの少ない子どもたちに父親とふれあう時間をと企画されています。

私は今日大学がありましたので、夫に任せようと思っていましたら、朝「子どもの事を考えなよ!」とまるで妻が夫に言うようなセリフを言われ、ドキ!っとしました。

家にいるときはしっかり子どもと触れ合っているし、家事だってもちろんやっている。でも、いざという時は仕事を優先する。これって子育ての押し付け合いかもしれない…。

私はまだ議員という仕事なので、月金9時−5時で拘束される事はありませんが、夫婦でフルタイム勤務している場合、本当に子どもを育てる事って大変なんですよね。よく「そんなに大変なら働かなければいいじゃない。子育てしてれば!それって大事な仕事でしょ。」とも言われたりします。でも、そうじゃない。女性がキャリアを維持しながら企業での活躍の場を維持しながら子育てできないとやはり少子化の歯止めにはならないと思っています。もちろん男性にもあてはまる事で、子どもの事で仕事に支障をきたす事にとても厳しいという日本の社会・企業システムも問題なのですが。

ところで、今日は午後から大学に行き、計画行政の演習講義を受けてきました。
企業は成果主義でもあり、明確な成果を挙げ、手段を検討していく。そのあたりまえが行政では行われない場合が多いようです。まず手段ありが多いようですね。

 私は昨日の一般質問より綾瀬インターと将来のまちづくりのあり方が頭を離れないので、ついついココに書き込むのですが、市長は昨日の答弁で、「あくまでも事業は県にやってもらう」といってました。しかも、県がやるのだから、負担などは考えていないし、わからないといいました。
 県の職員の方と話をした時、「あくまでも市からの要望があり、今回県としては採算性がどうかの調査で、できる場合は負担の分担どうするかになる調査である」といわれました。
つまり、綾瀬のまちづくりは県にお願いした時点で既に市民の合意の下と理解されているという事です。さらに、県職員に19年度末さがみ縦貫道が開通し、海老名北のインターから東名高速へ乗れるようになるのだから、それの状況を見てからでもイイのではないか。と聞いたら、そんな時間をかけてはいられない。19年には答えを出します。といわれました。
つまり統一地方選前にそれなりに成果を出すという事でしょうか…。

今年度の綾瀬市の予算ではインター設置の具体的説明会をするといっていますが、これまでの市側の県への要望、県議会での後押しなどで本年度一千万の調査費予算計上がなされ、あとは綾瀬市民への合意形成を残すのみで事業は進んでいる事をきちんと伝えるべきだと思います。また、インターができる事で失うものの大きさもしっかり伝えるべきでしょう。ただ、活性化するというけれど、車が増え環境破壊が進むことが本当に市民が望む綾瀬のまちなのでしょうか。

市は「インターができる事で活性化する」と一貫してこのことばかり言われますが、活性化することは本当に市の税収が増えるのでしょうか。インターができないと市の法人税が減りサービスが低下するといいますが、税金を投入してインターをつくり、逆に市から市民の流出はないのでしょうか。税収が確保されると税金が減るのでしょうか。市民サービスが増えるのでしょうか。昨日の他の議員への答弁で「藤沢市議会の最大会派が要望し議員団を結成している」と発言されました。インター設置はいったいどこの市のメリットになるのでしょう。

地方の首長は地元産業の発展や地域活性化のために企業誘致をすすめるというのは、政治家のセオリーのようです。でも、インターを県がやるからとまちづくり論から逃げる事はルール違反ではないでしょうか。マスタープランに
①人と自然がふれあう環境共生のまちをめざして
②人の心がふれあう安心生活のまちをめざして
③人と文化がふれあう個性尊重のまちをめざして
④人と未来がふれあう産業創造のまちをめざして
⑤人と人がふれあう交流拠点のまちをめざして
の5つの柱があり、そのうちの④⑤のまちを目指すといいました。
①②③はどうなったの?①の自然がふれあう環境共生はどうなるの?

一般質問中の市長の発言で企業誘致の候補に吉岡の農業振興地域は以前よりフレームがかかっていると言いましたが、目久尻川の自然を守る運動が盛んになってきたのに、川沿いに企業誘致をするというのです。

私は活性化するの具体的根拠、税金投入するだけのメリット、インターができたときの綾瀬市像が市民の納得いくものでなければこの事業には賛成できません。この不景気に公共事業で市全体が活性化する事例はありません。税収が減って、市民サービスが低下するというのは市民への脅迫です。

青島都知事の時都の財務局長をされていた木内先生(明大大学院の講師をされている)が、「政治家は新しいことをやりたがる、そして過去の失敗を誰も謝罪しない(あれは前任者がやったものというらしい)」といわれた言葉がとても印象に残っています。

そうならないよう何ができるか日々頭を悩ませているところです。